「ふつう」がいいときもある。
不細工な顔立ちだと感じたとき
身長が高すぎたり小さすぎて不自由さを感じたとき
足が人並み外れて遅く、仲間について行けなかったとき
上手く作ろうと思っても不器用で使い物にならないとき
話し下手のとき・・・・
ときと場合によって、この最悪より「ふつう」になりたいと思うときがある。
しかし、この「ふつう」何を思って「ふつう」と言うのか。
個々の物差しにおいて「ふつう」と位置付けたのであって、
他者から見たら「ふつう」は「ふつう」では無いかもしれないのだ。
今は、多様化の時代。
「ふつう」でなく、人とは違うことが「個性」「特質」「特色」:「特別な人・もの」と
認められ、価値あるものに変化する。
今までの視点から一転し、好転になるときがある。
昔、背の高い少女がいた。
彼女は、こんなに背が高いのはイヤ、普通がよかったと思ってた。
しかし、スポーツでバスケットをしたときに、お友達から背の高いあなたがいたから勝てたのよ。と言われたとき
今まで感じていたことが一転した。
見方・立場・受け止め方・発信の仕方・役割・仕事場・遊び場・スポーツ・・・で
今まで短所と思われていたことが長所となるように。
「ふつう」がいいときもあれば、そうでないときもある。
「ふつう」を改めてみてみると、何をとっても、「ふつう」じゃない事実がある。
新しいものの見方、考え方があり、人は、そうして進化し続けているんだなと感じる。
「夜型人間と朝型人間」
毎日の何気ない生活を意識してみるといつもの生活、ああ、私こんな風にいつも生きてる…ってことなんだけど。幼少の頃
「きっとよくなる」
私には、好きな言葉が2つある その一つは、「きっとよくなる」これは、ある住宅メーカーの社長さんが毎月一度、お
「財を残すは下」「事業を残すは中」「人を残すは上」「感動を残すは最上」
私には、好きな言葉が2つある その一つは、「財を残すは下」「事業を残すは中」「人を残すは上」「感動を残すは最
「糧」となる
あなたの「糧」は、何ですか?朝ドラ:ちむどんどんの歌子さんの恩師のお手紙から刺激を受けたので下地響子先生のお手
寄り添い合えたら…幸せ
寄り添うって空気のようなものかな…いつもそっと抱きしめて最もそばにいる重くなく煩わしさもない邪魔にならず目障り