「ふつう」がいいときもある。
不細工な顔立ちだと感じたとき
身長が高すぎたり小さすぎて不自由さを感じたとき
足が人並み外れて遅く、仲間について行けなかったとき
上手く作ろうと思っても不器用で使い物にならないとき
話し下手のとき・・・・
ときと場合によって、この最悪より「ふつう」になりたいと思うときがある。
しかし、この「ふつう」何を思って「ふつう」と言うのか。
個々の物差しにおいて「ふつう」と位置付けたのであって、
他者から見たら「ふつう」は「ふつう」では無いかもしれないのだ。
今は、多様化の時代。
「ふつう」でなく、人とは違うことが「個性」「特質」「特色」:「特別な人・もの」と
認められ、価値あるものに変化する。
今までの視点から一転し、好転になるときがある。
昔、背の高い少女がいた。
彼女は、こんなに背が高いのはイヤ、普通がよかったと思ってた。
しかし、スポーツでバスケットをしたときに、お友達から背の高いあなたがいたから勝てたのよ。と言われたとき
今まで感じていたことが一転した。
見方・立場・受け止め方・発信の仕方・役割・仕事場・遊び場・スポーツ・・・で
今まで短所と思われていたことが長所となるように。
「ふつう」がいいときもあれば、そうでないときもある。
「ふつう」を改めてみてみると、何をとっても、「ふつう」じゃない事実がある。
新しいものの見方、考え方があり、人は、そうして進化し続けているんだなと感じる。